應援指導部とのコラボによる第2回若林鶴雲講談会開催

應援指導部とのコラボによる第2回若林鶴雲講談会開催

7月16日(土)に三田演説館において、講談師の若林鶴雲さんによる、第2回「慶應野球と近代日本」企画展記念講談会が、應援指導部とのコラボレーションで開催されました。若林さんには、1943年10月16日に開催された伝説の「最後の早慶戦」を描く演目、「出陣学徒壮行最後の早慶戦」を披露して頂きました。

1943年秋、長引く戦争の結果、在学中の学生に認められていた徴兵猶予が事実上撤廃され、徴兵されることになったいわゆる「学徒出陣」が決まりました。慶應の野球部より、戦地に赴く前に最後に早慶戦を行いたいという声が上がり、早慶の野球部が連絡を取り合いながら困難な調整が重ねられました。そして遂に開催にこぎ着けた経緯を、若林さんが情感たっぷりに熱演されました。

早稲田の戸塚球場で開催された試合は慶應の大敗に終わりますが、試合後、早稲田が慶應の「若き血」を、慶應が早稲田の「都の西北」を歌い、最後にどこからともなく上がった「海ゆかば」の歌声が球場を包み、それが大合唱へと広がって、涙の中に両校学生が別れを惜しんだことが知られています。このシーンも、應援指導部とのコラボレーションによって再現されました。

この演目に続き、1972年の慶應野球部史上初の三連覇を映像と共に振り返る「慶應野球部三連覇物語」も披露して頂きました。 講談後には、應援指導部によるアトラクションに移り、あまり普段耳にしない、慶應最初の応援歌「天は晴れたり」などのほか、おなじみのチャンスパターンメドレーなどが披露されました。来場者は紙メガホンを叩き、野球部の歴史に思いを馳せながら、三田演説館でのひとときを楽しまれました。

この講談の一部をYouTubeでご覧いただけます。

講談師の若林鶴雲さんによる1943年10月16日に開催された伝説の「最後の早慶戦」を描く演目、「出陣学徒壮行最後の早慶戦」

紺と赤の慶應高校応援用メガホンが配付された

満員となった三田演説館

秋季企画展変更のお知らせ

秋季企画展変更のお知らせ

2022年度秋季企画展として予定しておりました「曾禰中條建築事務所と慶應義塾」は、準備の都合から2023年度の実施に変更することとなりました。直前の変更となりまことに申し訳ありません。

なお予定していた秋季企画展の会期10月17日(月)~12月17日(土)には、学問のすすめ刊行開始150年を記念し、福澤諭吉と長沼事件に関連した展覧会を開催する予定です。引き続きご期待頂ければ幸いです。 

野球伝来150年記念「聖地・名所150選」に慶應義塾の綱町グラウンド選出

野球伝来150年記念「聖地・名所150選」に慶應義塾の綱町グラウンド選出

7月19日、日本野球機構(NPB)と全日本野球協会(BFJ)の共催により運営されている「野球伝来150年記念サイト」において、日本野球史の「聖地・名所」が150カ所選出され、慶應義塾の綱町グラウンドがそのひとつに選ばれました。 記念企画として聖地巡りのバーチャルスタンプラリーも開催されます。

当グラウンドは明治36年(1903)に開設され、同年秋、この場所で早稲田大学野球部と慶應義塾野球部が初めて対戦した第1回早慶戦の舞台となりました。その後明治40年(1907)にはハワイセントルイス野球団を迎えての試合が、日本で初めての有料試合となりました。さらに大正2年(1913)にはアメリカ大リーグのニューヨーク・ジャイアンツとシカゴ・ホワイトソックスの合同野球団が来日、綱町を舞台に対戦しました。これが日本初の大リーグチームの国内での対戦で、ジャイアンツの指揮は、猛将と呼ばれ、数々の野球戦術を確立したことで知られるジョン・マグロー監督が執りました。

現在綱町グラウンドは主に慶應義塾中等部生が使用しているため、一般の見学はできませんが、場所を慶應義塾史展示館に移し、関連展示を行うことになりました。8月13日までは企画展「慶應野球と近代日本」を開催中ですが、その終了後も関連資料の展示を行います。 この機会にあわせて、綱町グラウンドに関連した新たな資料も展示予定です。

野球伝来150年 聖地・名所150選サイト
https://japanesebaseball150th.jp/sights/

開館1周年記念プレゼント企画について

開館1周年記念プレゼント企画について

7/5(火)は当展示館の開館1周年にあたります。展示館にご来館頂いたお客様に、開館時に作成したポストカードを50部限定でプレゼントいたします。

なお、ポストカードの中に10人に1人「当たり」が入っておりますので、その方にはWプレゼントとして開館記念図録をお渡しいたします(5名様)。

福澤諭吉記念 慶應義塾史展示館 特別出品のお知らせ

特別出品のお知らせ

沖縄慰霊の日にあわせて、沖縄戦の壕跡で今年発見されたペンマーク入りの万年筆を、福澤諭吉記念慶應義塾史展示館に特別出品いたしました。

この万年筆は慶應義塾出身者の所持品と思われ、沖縄本島最南部に位置する、糸満市真壁地区の「八十二高地」と呼ばれた陣地壕の岩の下にありました。

常設展示室内「独立自尊の章」の区画にて、太平洋戦争に関連する展示品の一つとしてご覧いただけます。8月末までの出品を予定しておりますので、よろしければ是非お立ち寄りください。

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